ゴミの日

チチチ‥とスズメが鳴く。
郊外に建てられたミサトのマンションを、朝の太陽が照らす。

ドアが開いて、レイが出てくる。
苦労して大きなゴミ袋をいくつかひきずりながら、ゴミ回収ボックスへ
運んでいる。

西暦2015年になってもゴミ回収の方法は 20世紀と同様である。
週の決められた日に、各家の近くの集積場所または専用ボックスに
入れるのだ。

問題は葛城家の特殊性にあった。他の家に比べて、ゴミの量が格段に
違うのだ。シンジが来て以来インスタント食品は減ったのだが、ミサトが
水代わりに飲むビールの缶に加えて、アスカが食い散らかすお菓子の量が
ハンパではなかった。

ちなみに、第三新東京市は流通の改善により食品の類は毎日のように新製品が
発売されている。新しいもの好きのアスカは必ず買うし、その他、化粧品の
箱やら包み紙やらでチラシやらで、大量のゴミが生まれるのだった。

「‥ふぅ」

レイはようやく回収ボックスの前まで運ぶことが出来た。汗がひたいに浮き出て
いる。

「あ‥綾波さん？」
「お、めずらしいな」

ヒカリとトウジが歩いてきた。登校の時間にはやや早いが、真面目な
クラス委員長としては、誰よりも早く教室にいるべきだという使命感が
あったためだ。もっともトウジの方は、あまり他の生徒に会いたくなかった
のかもしれない。

「綾波さん大変そうね。ほら、鈴原、手伝ってあげなさいよ」
「お、おう、そうやな」
「‥‥あ、ありがとう」

ヒカリにせかされたトウジは、レイを強引にどかして、ゴミ袋を抱えると
それぞれの回収ボックスに入れた。もちろんヒカリは何もしない。

「綾波さん一人にこんなことやらせるなんて、碇君もひどいわね」
「ううん、今日は私の当番だから。
  ‥‥それに、いつもは碇君が代わりに運んでくれてる」

レイは嬉しそうにちょっと頬を染めた。

「そうやな、この時間にここを通るといつもシンジが運んでるで」
「そうか、碇君やさしいもんね」
「せやけど、ミサトさんや惣流の姿は見たことないで」
「それは、私と碇君が交替で当番だから」
「どうして？」
「そう決まったから」

しーん

「そ、そう」
（世間慣れしてない綾波さんと、押しに弱い碇君じゃあこうなるのも仕方ないわね）

なんとなく葛城家の実情の一端が掴めたヒカリだった。

「ね、綾波さん、私からアスカに公平に分担するよう言ってあげようか？」
「ううん、いいの。今のままで‥‥‥碇君と一緒に居れるから。」

と頬を染める。

（綾波さんって、けなげ‥）
ヒカリは感動した。

「‥で、今日シンジはどないしたんや？」
「‥碇君、まだ寝てるから。
  ゆうべは碇君の部屋で遅くまで起きてたから、もう少し寝かせてあげたいの」
「碇君の部屋？ ふ、ふたりで何してたの？」

ヒカリは赤くなって声をあげた。

「‥私、なんだか眠れなかったので、碇君の部屋にいって、‥」
「そしたら碇君がTVゲームでもやろうか、って‥」
「わたし途中で寝ちゃったんだけど....」

絶句するヒカリとトウジ。

「そ、そんな無防備な」
「シンジのやつに、なんかされへんかったんか？」
「え？ 碇君、自分のベッドに私を運んでくれたみたいだけど‥」
「それだけ？」
「うん」
「つまらんやっちゃなー。そんなシチュエーションであいつはそれだけなのかい」
「鈴原、なに言ってんのよ」
「碇はそのあと、どうしたんや？」
「知らない」

ニヤニヤと笑うトウジに、カケラも気にしてないレイはあっさり答える。
実際のところ、シンジはすやすやと眠るレイにみとれていて、夜更しをして
しまったのだが、それはレイの知るところではない。



ゴミを捨て終わると、トウジとヒカリは先に学校へ行ってしまった。
残ったレイは、シンジとアスカを起こしに家に戻った。

このあたりは通行人も少なく、再び道路は無人となった。
しかし、この一部始終を隠れて見ている男たちがいた。

「レイ‥‥。
  こんな扱いを受けてるとは‥。葛城三佐には失望した」

「葛城‥。
  おまえ、ほんとに結婚する気があるのか」

赤い眼鏡のひげ男と不精ひげ男は、ため息と共につぶやいた。



その日、加持は指令室に呼び出された。



アスカが夕方になって学校から帰ったとき、珍しくミサトがいた。

「ミサト、今日は早いわね」
「わたしもよく分からないんだけど、加持が来るから家で待っててくれ
  って言われたの」
「え！加持さんが！」
「そーよ、何なのかしら。ところでシンちゃんとレイは？」
「昼間、学校にネルフから呼び出しが入って、本部へ行ったっきりよ！」
「ふ〜ん」

そこへ玄関のチャイムが鳴った。

「よ、二人とも久しぶりだな」
「加持さ〜ん、待ってたのよ。入ってよ！」

調子よくアスカが答えた。

「加持君、まだシンちゃんとレイは帰ってきてないわよ」
「いやいいんだ。葛城とアスカに話があるんだ」
「そうなの？」



居間でお茶を出すアスカ。

「はい、加持さん！」
「こりゃどうも」
「シンちゃんみたいにおいしくはないけど、まあくつろいでよ」
「‥‥悪かったわね。ミサトだって似たようなもんでしょーが」
「いや十分おいしいよ、アスカ」
「‥で、話って何なんなのよ」

ミサトは唐突に切り出す。

「ああ、実はシンジくんとレイくんのことなんだが‥」

アスカの目が鋭くなる。

「‥しばらく二人で暮らすことになった」
「‥‥」

しばし沈黙。

「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

アスカの声が響き渡った。

「どういうこと？」
「葛城たちの仕打ちに耐えかねて二人が逃げ出した‥‥」

ミサトが眉をひそめる。

「‥‥わけじゃないが、指令が見かねてな」
「‥‥」
「食事、掃除、買い物、ゴミ捨て、洗濯、クリーニング、‥ほとんどの家事を
  シンジくんとレイくんにやらせてたそうじゃないか‥」
「‥‥」

アスカは何も言えない。

「なんで知ってるのよ」
「それは機密だ」

ゲンドウがマンションの周りをうろうろしていたとは、さすがに言えない。

「ま、俺としても、葛城がこんなんでは困るしな」
「‥‥」

ミサトも何も言えない。

「アスカもこれを機会に家事のやり方を覚えて、シンジくんにアピールするのも
  いいんじゃないか？」
「わ、わたしは‥別にいいのよ！」

加持は部屋を眺め渡した。きれいに整理されている。大学時代のミサトの部屋を
思い出すと、いつまでこの状態でいられるかと考えると暗澹たる思いがした。

「で、シンちゃんたちはどこに住むの？」
「それは教えられないな。シンジくん無しで生活してもらうために、こうしたん
  だしな」

加持はうそぶいた。

「シンちゃんがレイを襲ったらどうするの？」
「シンジがレイに襲われるわ！」
「ま、あの二人なら間違いはないさ」

加持は涼しい顔をしている。

アスカは、その後もなんでミサトの花嫁修行につき合わなきゃならないよ、と
わめいていたが、なんとか加持に説き伏せられた。



その頃、シンジとレイは見知らぬマンションにいた。
加持から簡単な説明は聞かされていたが、突然ふたりで暮らすということに
戸惑いを隠せないでいた。

「‥きれいなところだね」
「うん」
「ネルフへ出張者なんかが住むところなんだってさ。一応、生活に必要なものは
  揃ってるそうだよ」
「そうね」

レイは言葉は少ないが、ニコニコとしているので嬉しいのだろう。

「‥‥綾波、楽しそうだね」
「そう？」
「うん、さっきからずっと笑顔だよ」
「そう、かもしれない」

とりあえず部屋に入ってみると、普通の 2Kのマンションだった。ひとつの部屋は
居間らしくテレビとソファが置いてあった。もうひとつの部屋は寝室らしく、
シングルベッドが二つ並んで置いてあった。

「‥碇君とふたり‥」

レイがつぶやく。シンジもそれを聞いて赤くなる。

「‥一緒の部屋‥‥一緒の寝室‥‥」
「そ、そうだね。同じ寝室みたいだね。‥‥い、いやかな？」

とちらっとレイを見る。

「ううん。碇君と一緒なら嬉しい。碇君こそ、アスカや葛城三佐と離れて
  寂しくない？」
「そ、そんなことないよ。だって‥」

シンジもそれだけ言って赤くなった。
レイは無表情に（ベッドはひとつでもいいのに‥）と考えていた。



「まったく、なんで私が料理なんかしなくちゃならないのよ！」

アスカが台所で叫んだ。

「まあアスカ、明日は私がやるから」
「‥当然よ。全てはミサトのせいなんだから」
「そのわりには気合い入ってるじゃないか」

加持が、アスカの傍らに積み上げられている料理本を見ながら声をかける。

「今日は加持さんのために作るんだからね！」
「そういえば、アスカの作った料理を食べるなんて初めてだな」
「ふふふ、期待しててよ！」

しばらくして、食前にたくさんの料理が並ぶ。

「ま、私だってやろうと思えば、シンジ程度の料理はつくれるわよ」
「‥ふ、ふーん、そう？」

ミサトは動揺している。

「へえ。アスカもやるね。うまいよ」
「そりゃそうよ。私は基本的に何でも出来るのよ」
「‥でも、シンちゃんに比べると、まだまだね！」

ミサトは楽しそうにいった。

「‥問題はミサトでしょ。」
「ふふふ、あたしだってやる気になれば結構家庭的なのよ！」

（うそね）
（うそだな）

二人は心の中でつぶやいた。



シンジとレイはその頃、近くのスーパーを探して、料理の材料などを
買ってきて、部屋で調理していた。

「碇君、ちょっと料理多くない？」

フライパンいっぱいに野菜をいれて炒めようとしているシンジにレイが
横から声をかけた。

「あ、そうか。二人分でいいんだったね。つい、いつものくせで‥」

夕食を食べるときも、にぎやかな二人がいないせいか妙に静かだった。

「‥‥」
「‥‥」

最初に２、３言葉を交わしたきり二人とも黙ってしまった。

（なんだか間が持たないなあ。でも、静かに食事出来るってなんかいいなあ）

シンジはふと、レイが食べるところを見つめた。
上品に食べる綾波の唇に見とれていたのだ。

「‥‥」
「なに？」
「あ、べ、別に‥」

シンジはあわててご飯をかきこんだ。

「碇君‥」
「な、なに綾波‥」
「静かね‥」
「そうだね、ミサトさんかアスカは食べてる時もしゃべりっぱなしだしね」
「‥寂しい？」
「うーん‥ちょっとそうだけど、僕はあまり騒がしいのは苦手だしね」
「私もそうだから」

（綾波とふたりっきりになるなんて、初めてかな。いつもはアスカかミサトさんが
  いたからなあ。でも、綾波って、なんだか女の子って感じがしていいな。）

シンジはまたレイをぼーと見つめており、それに気づいたレイも今度は何も
言わずただ顔を赤らめていた。



次の日、ミサトは朝からカレーを作っていた。加持は昨夜帰ったので、
今はアスカしかいない。

「ミサト、カレーはやめなさいよ」
「あら、なんで？」
「まともなものが作れないことがすでに証明されてるからよ」
「今度はだ〜いじょぶよ。マヤから作り方を聞いて作ってるんだから」
「ほんとね？」

アスカはじと目でミサトを見ていた。



シンジとレイは時間を持て余していた。いつもはこの時間まで
料理の後片付けとか、洗濯とかしてるんだが、綾波と二人で分担して効率よく
作業したらあっという間に片付いてしまった。

「ねえ、どこかいこうか？」
「そうね」
「そうだ、ゲームセンター行かない？」



ミサトの作ったカレーが食卓に並んでいた。

「じゃーん、どう？」
「‥見た目と匂いは普通のカレーね‥」
「あたりまえじゃない、嫌な子ね‥」
「まあ問題は味よね。いただきま〜〜す」

アスカは、パクっと一口食べる。‥‥‥途端青くなり倒れた。

「もう、そんな厭味なこと、しなくてもいいじゃない」

アスカは動かない。

「まったく‥」

ミサトも一口食べる。

「！！ これは‥」

ミサトも気づいた。確かにまずい。何がいけなかったのだろう。
あそこで自分流のアレンジをしたせいか、いやそれとも‥。
ミサトはまだ倒れたまま動かないアスカをみる。口から泡を出している。

「あ、アスカ、しっかりして！」

あわてて電話をとると、救急車を呼んだ。



「ここ‥病院？」

アスカが気づくと知らない天井だった。

「‥わたし‥どうして‥‥」

記憶が混乱している。

「たしか‥‥ミサトのカレーを食べて‥‥はっ！」

突然思い出した。
アスカは、このままここにいるとミサトのマンションに引き戻されると考え、
窓から逃げ出すことにした。



シンジとレイは近くのゲームセンターに来ていた。
ひとしきり遊んだあと、入口にあるUFOキャッチャーが目に入った。

「あ、これ」
「私の人形‥」

NERVと関連のある某ゲームメーカーのクレーンゲームでは、初号機や
シンジ、レイ、アスカのフィギュアシリーズを出して人気を博していた。

「よーし、あの綾波の人形を取るね」
「頑張って」

しかし、他のキャラのと違い、レイのは縦に置かれているので取りづらかった。

「あ〜惜しい！」
レイが叫んだ。

「くそー、もう一度！」
「碇くん、もう、やめたら？」
「でも‥」
「結構お金使ってるでしょ」
「でも‥綾波のやつだし‥‥」
「うれしい。でも、碇君には私がいるわ‥」
「‥そ、そうだね」

それはそうだ。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「おなか空かない？」
「うん、そうだね、何か食べていこうか」

シンジは後ろ髪を引かれる思いだったが、ゲームセンターを後にした。

（やっぱり欲しいなあ。よし今度トウジたちと来ようっと）



アスカは病院を抜け出すと、とりあえず空腹を癒すためファーストフード店
に来ていた。これからのことを考えると憂鬱になる。ぼ〜っとしてハンバーガを
食べていると、シンジとレイが店に入ってきた。

「シンジ！‥それにレイ！‥」
「あ、アスカどうしてここに？」
「あんたたち、あたしがこんな目に合ってるというのに、のんびりとデートなんか
  してたのね！」

シンジはアスカの怒りゲージが上がってく様子が見えた。

「ア、アスカ。と、とりあえず落ち着いてよ」

レイはシンジの後ろに立ったまま成行きを見ている。
身構えるシンジに対し、突然アスカは平常な顔に戻った。

「シンジ‥帰るわよ！」

シンジはきょとんとする。

「え、あ、そう、じゃあね」
「あんたバカあ？  あんたらのところへ行くって言ってるのよ」
「え？」
「‥僕たち、まだ食べてないんだけど」
「帰りにコンビニでなんか買えばいいでしょ」

レイは無言のまま、シンジの服を掴んでいた。



シンジとレイとアスカは、コンビニでどっさりとお菓子やジュースを
買い込んで帰ってきた。さっそく乾杯をする。

結局アスカは夜まで居ついていた。ミサトのところへ帰る気はないらしい。

「シンジ悪いけど、泊めてくれる？」
「うんいいけど‥でもベッドがないよ」
「しょうがないわね、私はシンジと一緒でもいいわ」
「だめよ」

レイが口を挟んだ。

「わたしのベッドを使ってもいいわ。私が碇君と一緒に寝るから」
「ファースト、あんた何考えてるのよ！」
「そのセリフはあなたに返すわ」

二人の目の間に火花が散る。

「ねえ、あのベッド結構大きいからくっつければ、３人寝られるんじゃない？」
「‥‥」
「‥‥」

結局シンジの案に従うことになった。
無言の圧力により、シンジが真中で寝ることになった。シンジは、さすがに
緊張で眠れない。一方いろいろと疲れているアスカはぐっすり眠っていた。
レイも幸せそうに眠っている。

（はあ、これからどうなるんだろう....）

部屋は、半日でお菓子などの袋が散乱し、ビールが無いことを除けば以前の
葛城邸と同じようになっていた。

（でも、アスカがいるとうるさいけど楽しいし、綾波もこれはこれで楽しそう
  だし、ま、いいかな）



翌日。シンジはひとりでミサトの部屋の前に立っていた。
アスカの話から心配になったので、様子を見に来たのだ。たった１、２日
いなかっただけだが、なんだかなつかしいような気がしていた。しかし、
玄関から入るなり、全く見知らぬ家と化したあまりの部屋の汚れように驚いた。
足も踏み場もない部屋で、ミサトがソファーで眠っていた。

「ミ、ミサトさん！」

シンジは慌てて声をかける。寝にくい場所だったためか、ミサトはすぐに
目を覚ました。

「ふああああああ」
「‥ミサトさん‥」
「あら、シンジくん、帰ってきてくれたのね〜」
「こ、これは‥」
「あはは、いろいろやってみたんだけどね、うまくいかなくて‥」
「料理に失敗するのはいいけど、ちゃんとゴミは片付けないと‥」
「あはははは」

見かねたシンジは、戻ってくることした。当然レイとアスカもついてくる。

「ありがとう、シンちゃん」
「でも、これからはミサトさんもちゃんとしてくださいよ。じゃないと
  僕が加持さんに責任感じちゃいますから」
「わかってるって♪」

（どうだか）
アスカはじと目で睨んだが、もちろんミサトには通じなかった。



次の日。
レイとシンジが溜りに溜ったゴミを捨てるため、朝早くマンションから
出てきた。シンジだけでは持ち切れなかったので、レイも手伝っている。
ミサトとアスカはまだ寝ていた。

「結局、前に戻っちゃたね」
「そうね」

それでも、レイは楽しそうだった。



塀に隠れてその様子を見ている人物。碇ゲンドウと加持リョウジ。

「‥‥結局、元に戻っちゃいましたね」
「ああ」
「でもレイ君も幸せそうじゃないですか」
「ああ」
「何もする必要なかったのかもしれませんね」
「君の方はどうするのかね。」
「‥」
「‥」

こうして、葛城家および一部のネルフの面々の朝は、いつも通りに始まる
のだった。


終り