環状線

プシューゥ

「ふう、間に合ったあ！」

閉まる扉をすり抜けるようにして飛び乗ったシンジが、安堵の息を漏らす。
シンジは肩で息をしながら、扉に持たれかかると、列車はリニア特有の静かな
加速を始めた。

‥‥零号機の爆発によって第三新東京市の中心部には大きな湖が出来た。
戦いが終わった後、ネルフによって湖を周回するリニアの環状線が作られた。
もともとはネルフの物資輸送のためだったのだが、やがて民営化し、市民の
足として使われるようになった。

（ちょっと前までガラガラだったのに、最近は混んできたよな‥）

シンジはそんなことを考えながら、辺りを見渡した。
そのとき、向かいでこちらを向いて立っている水色の髪の少女に気付いた。

「綾波！」

シンジが歩み寄る。
シンジは久しぶりに会うレイの嬉しくなり、自然と饒舌になった。

「なんだか久しぶりだね。最近なかなか会えなかったから‥」
「ええ‥‥ネルフのスケジュールが合わないから‥‥」
「そうだよね。アスカと一緒になることはたまにあるけど、綾波とは
  本部でも会わないね。昔みたいに三人一緒の実験があればいいのに」
「ええ」
「あ、そういえばミサトさんが言ってたけど、今のネルフの財政ってかなり
  大変なんだってね。昔みたいにあまり派手な実験は出来ないらしいって。
  だから、ひとりずつネルフに呼ばれるんだってさ」
「‥‥‥」

レイはシンジは目をじっと見つめる。
シンジはドギマギとしていると、

「碇君‥‥」
「な、なに？」
「座りましょう」

見ると、ちょうど二人分の席が空いている。

「そ、そうだね」

                        ◇  ◇  ◇

シンジとレイはちょこんと並んで座る。
レイの顔は心持ち上気していた。会いたかったのはレイも同じだ。

「碇君‥」
「な、なに、綾波」
「‥今日も実験だったの？」
「うん、昨日リツコさんから連絡があって急遽、ね。
  今頃はアスカがやってるはずだよ。僕と入れ替わりだったから」
「そう‥‥」

（碇くん、いつもあの人とは一緒にいるのね）

少しレイの表情が陰る。

「ずっと綾波に会いたかったんだけどね‥‥」

（え‥）

レイが顔をあげ、シンジの方を見る。

「なかなか都合が付かなくて‥。でも、今日は会えて嬉しいよ」

とにっこりとレイに笑いかける。
言い訳じみたシンジの言葉だが、レイは嬉しかった。

（そう、碇君も嬉しいのね。
  私も同じ。私も碇君に会えて嬉しかった。
  今は碇君と一緒にいられる。
  ‥‥このまま、この時間がずっと続けばいいのに）

レイはシンジにもたれかかり、ぴたりとくっつく。

「あ、綾波？」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥だめ？」
「いや、いいよ」
「ありがとう」

レイはシンジの暖かみを感じながら、そっと目を閉じる。
シンジは、レイの柔らかな感触と、いい匂いに頭がいっぱいになった。

（碇君、これはただの偶然？ 私の気持ちが通じたの？
  ううん、どちらでも構わないわ。碇君に会えたのだから‥。
  碇君の家は３つ先の駅。そして、あの人たちのいる家へ帰るのね。
  ‥‥‥。
  でも、今だけは私のもの‥）

（綾波‥。
  混んでもないのに、そんなにくっついたら目立っちゃうよ。
  ま、まあ知合いがいるわけでないし、いいかな。‥‥。
  そういえば綾波、どこまで行くんだろう。降りる駅まで一緒だと
  いいな。）

                        ◇  ◇  ◇

「あら、あれシンジくんじゃない」
「ああ、そうみたいだな」

シンジたちを見つけたミサトが加持に告げる。
加持はだいぶ前から気付いていたが、気を利かせて黙っていたのだ。
 
「うふふふ‥。突然声をかけて驚かせちゃおうか」
「やめとけよ、野暮‥って前にレイちゃんに殺されかねんぞ」
「あの子、シンジくんのことになると目の色が変わるもんね」
「お前がシンジくんと一緒に住んでるから怨まれてるんじゃないか？」
「うーん、あたしよりアスカだと思うんだけど、あまり穏やかには思って
  ないでしょーね」
「二人も三人も似たようなもんだろ。一緒に預ってあげればいいじゃないか」
「そうしようかと思ったこともあったんだけど、私の権限じゃあチルドレンは
  二人が限度みたいね」
「ほお、そういえばそんな規定があったっけな」
「レイを預るにはあたしが昇進するか、もうひとり監督人を増やさなきゃ
  だめなのよ」
「じゃあ俺も一緒に住んでやろうか」
「ばーか。それにもう部屋も無いのよ。うちは 3LDK なのよ」

                        ◇  ◇  ◇

次の駅でたくさんの人が車内の入ってきた。
座席はみな埋まっていたが、レイの横にはちょっと隙間があり、そこへ OL が
座った。レイも OLの女の人も細いので肩がつく程度で座ることが出来る。

が、レイはさらにシンジに近寄り、腕を組んで密着してきた。

「‥‥‥‥混んできたから‥」

ポッと赤くなるレイを見てシンジも同様に赤くなった。

（う‥かわいい。それに綾波ってやっぱり美人だよな。美少女っていうの
  かな。まつげ、きれいだよな。あ、動いた。ふふ、面白いや。
  それに髪。神秘的っていうのかな。こんな髪の色の人って他にいないけど
  綾波にはなんだか合ってるんだよなあ。首筋も細いし、きれいだな。
  それに透き通るように白いし。綾波って日焼けしないのかなあ。
  プールの授業もみんなと一緒に受けてるのに。
  でもやっぱり一番きれいなのは目だよな。赤くて引き込まれるような‥‥
  ‥‥って、綾波、急にこっち見てどうしたの？
  じろじろ見てたって思われたのかな。ドキドキ‥）

                        ◇  ◇  ◇

（ふう、何も言われなかった。
  あ、目を閉じて‥‥眠いのかな。うーん、確かに電車に乗ると、揺れが気持ち
  よくてつい眠くなっちゃうんだよな。そういえばいつだったかも学校に行く
  途中で寝過ごしちゃったっけ。あ、綾波、本当に寝ちゃったのかな。
  ‥‥。
  綾波の寝顔ってすごく穏やかだな。もし天使が本当にいるのならこんな感じ
  なんだろうな。こ、こうやって近くで見ると、綾波って結構色っぽいな。
  唇も柔らかそうだし、‥‥ごく。って何を考えてるんだ、僕は）

                        ◇  ◇  ◇

（あ、次の駅だ。どうしよう。
  ‥‥って降りなくちゃまずいよな。
  アスカとミサトさんは、僕がネルフを出る時はまだいたけど、もうちょっと
  したらネルフを出るはずだから、先に帰ってないと不審に思われちゃうよな。
  そうなったら、何を言われるか‥。

  このあいだもちょっと寄り道して晩ご飯作るの遅くなっただけで、アスカに
  散々追求されたもんな。‥‥今日はミサトさんも居るしどうなることか‥。

  ‥‥プラグスーツの時と違って、柔らかいんだな、綾波って‥。当たり前か。
  でも、こんなチャンスもう無いかもしれないし、このままもう少し居たいな。

  ‥‥一駅ぐらいなら、問題ないよな。うん。そこで下りに乗り換えれば
  10分も遅れないし‥‥）

                        ◇  ◇  ◇

などと考えている間に、シンジの降りる駅へ着いてしまった。
それまで眠っていたかと思われたレイが顔をあげて、じっとプラットホームの
駅名を見つめる。

（あ、綾波。‥‥起きてたんだ。やっぱり、僕の降りる駅を知ってたんだ。
  どうしよう、不信に思ったかな。ち、違うんだ。別に変なこと考えてた
  わけじゃないんだ。ちょ、ちょっと肘の感触が気持ちいいけど、だから
  といって‥、いやそんなことよりこのまま気付かなかったフリをしようか）

（‥‥この駅は碇君の降りる駅‥‥。どうして降りないの？
  もしかして気付いてないの？ ‥‥なら、このまま黙っていようかしら。
  ‥ごめんね碇君。もう少しこのままでいたいの‥。）
  
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」

やがて発車する。

「‥‥‥‥」
「‥‥碇君。さっきの駅で降りるんじゃないの？」
「あ、あ、そうだね、ははは、乗り過ごしちゃったよ」

                        ◇  ◇  ◇

「‥‥‥‥」
「‥‥碇君。今の駅で降りるんじゃないの？」
「あ、あ、そうだね、ははは、また乗り過ごしちゃったよ」

                        ◇  ◇  ◇

こうして、環状線をぐるっと１周した。

ピピピピピピピピピピピピ.....

レイの携帯が鳴った。

「もしもし」
「レイ？ もう時間は過ぎてるわよ」
「すいません、赤木博士。電車を乗り過ごしてしまいまして‥」
「‥そうなの？ まあいいわ。今、どこにいるの？」
「もうすぐ駅です。あと10分ぐらいで着きます」
「‥‥‥乗り過ごしたって‥あなた１周したの？」
「はい」

ピ

呆れるリツコを尻目にレイは電話を切った。

「あの、綾波？」
「もしかして、僕の乗った駅で降りる予定だったの？」

レイはちょっと照れながら、

「ええ」
「‥‥‥碇君が見えたから‥」
「そ、そうなんだ」

「じ、じつは僕も‥」
「碇君も？」
「う、うん」

顔を見合わせると、笑い出した。

「ふふ‥」「あははは‥」

                        ◇  ◇  ◇

その晩、シンジは予想通り、アスカとミサトにしつように追求され、
当初はうまく誤魔化していたつもりのシンジだったが、ミサトに
見られていたことを知り、玉砕したのだった。