「Mission Impossible」

「これは困難な作戦だ」

と言うケンスケの顔は苦渋に満ちていた。

「しかし、やらねば俺達に明日はない」
「‥‥そこまで気合いを入れることはないと思うんだけど‥」

シンジが口を挟む。

「だああっ。なにを言う！」

ケンスケはシンジの肩を掴むと、

「いいか、今回のオペレーションの成否はシンジ、お前の双肩にかかってるんだ」
「そ、そうなの？」

という、シンジとケンスケは下駄箱の後ろに隠密行動を取るスパイの
ごとく隠れていた。

「なんでこんなことをしてるんだろう‥‥」

とシンジは少し考えてしまった。

                               §

事の起こりはこうだった。

この日は、年に２回行なわれる健康診断の日だった。

健康診断は、体操服に着替える。
着替えは、基本的には普段の体育の授業と同じく、男子更衣室と女子更衣室で
行なう。

「ところが、だ」

ケンスケがメガネを指で押し上げる。

全校生徒全員が１日で行なうために、基本的には午前中を男子、午後を女子と
分けるなど効率化が計られている。
ところが各クラスが連続的に入れ替われればいいのだが、更衣室での着替えが
ボトルネックとなってしまって、時間がかかっていた。

各更衣室には複数の棚があるので、同時にいくつかのクラスの着衣を置く
ことは可能だったが、一度に部屋に入ることの人数はやはり、１クラスが
限度だったからだ。

一部のクラスの女子はそのため、男子更衣室も使うことになっていた。

午前の男子の部の終わり、健康診断の場である体育館からシンジたちが男子
更衣室に戻ってきた。シンジが身長の伸びと座高の伸びの比をぶつぶつと
計算しながら着替えていると、ケンスケの叫び声が聞こえた。

「ないっ！ないっ！」

ケンスケはロッカーの上に手を伸ばして、なにか探している。
更衣室といっても掃除道具を入れるようなロッカーが壁にそって並んでる
だけの何も無い部屋だ。
ロッカーはケンスケの身長よりも高いので、直接見ることは出来ない。

クラスの他の男子も一瞬ケンスケを見やったが、奇怪な行動はいつものこと
なのか、すぐに何も無かったのように元の作業に戻った。

「どうしたの？」

シンジがワイシャツのボタンを止めながら、訊ねる。

「どないしたんや」

ジャージに着替え終わったトウジも訊ねる。それって着替えるに入るのかと
ケンスケに突っ込まれたが、本人は意に介さない。

「トウジの方が背が高いよな。ちょっとこの上にある物を取ってくれないか？」
「わいがか？ 服にホコリがついてしまうやんか」
「‥‥。俺やシンジと違って、トウジはジャージだろ？」
「馬鹿いえ。ジャージは黒やろ？ だから、ホコリが目立つんや」

（じゃあ、何のために着てるんだ）

と思うシンジとケンスケには、トウジにはトウジなりの美意識があることには
気付きそうもなかった。‥‥。

「ケンスケ‥ここにスチールイスがあるよ」
「お、サンキュー、シンジ」

ケンスケはイスに載って、ロッカーの上を覗く。

一瞬はっとすると、すたっと降り何も無かったかのように、

「じゃ教室に戻ろうか」

と言うとすたすたと先に出ていく。
シンジとトウジの二人は顔を見合わせるとケンスケの後を追った。

                               §

シンジたち三人が教室に入ったのに気付くと綾波が手を振った、

「碇くんっおかえりーっ」
「あ、うん。あれアスカも洞木さんもどうしたの。自習じゃなかったの？」

にこにこと笑うレイの後ろには、かなり怒りを貯めた表情のアスカと困った
ような表情のヒカリが立っていた。

「‥‥シンジはどいてなさい」
「な、なに？」
「アタシは相田に用があるのよ」
「な、なんだよ」

ダン

アスカはケンスケの目の前に、コンパクトタイプの8mmデジカメらしき物を置く。

「これ、あんたのでしょ」
「な、‥」
「相田君、男子更衣室のロッカーの上に設置してあったらしいんだけど‥」

ヒカリが遠慮がちに訊ねる。

「おおおおおお、俺じゃないぞ」

言葉とは裏腹に思いっきり狼狽している。

「さっき、あんたら健康診断受けてる間に調べさせてもらったのよ」

アスカが自信たっぷりに告げる。

「あたしたちの着替えを撮るつもりで設置しておいたんでしょ」
「もてない男って何するかわからないわね〜」

レイはシンジの腕に自分の腕を絡めつつ、きついことを言う。

「なななななんで俺に‥‥」

ケンスケは冷汗だらけになっている。
レイはびしっと指さすと、

「ふふふ‥嘘をついても無駄よ！相田くんの指紋と一致したんだから!!」
「な‥。そこまでするかぁ！」
「しないわよ」
「やっぱりあんたじゃない！」
「しまったぁぁぁ！」

ケンスケは頭を抱える。

「ケンスケ‥‥」
「自分で墓穴を掘ったんじゃ仕方ないわな‥」

さすがにシンジとトウジもフォロー出来ない。

「これは没収するわね」
「あとでリツコかマヤに言いつけるわよ。覚悟しとくことね」
「く‥‥」

同じ先生でもミサトじゃないところがアスカの厳しいところだ。

「‥‥ところで、あんた、さりげなくシンジにくっつくんじゃないわよ」
ぐいっ
「ああ、碇君‥」

いつものやりとりをするシンジらを横目に、ケンスケは肩を落したポーズを
取りつつ、しかしその目はいまだ輝きを失ってはいなかった。


                               §

午後になって、クラスの女子生徒が出ていった。
むろんアスカは行きがけに「覗くんじゃないわよ」と釘を刺しながら。

ケンスケはしばらくじっとしていた。が、やがてポツリと

「‥‥‥行ったな」
「‥‥‥‥」
「懲りんやっちゃな」

トウジが呆れる。

「何を言う！ いいかっ。去年改装したばかりのあの鉄璧堅固な女子更衣室に
  何か仕掛けるのはインポッシブル！不可能だ！しかし、隅から隅まで知りつ
  くした男子更衣室を！しかもうちの学校の美少女の双壁が使うというこんな
  チャンスは千載一遇、今後二度とあるまいっ」

ケンスケが力説する。

「唾、飛ばさないでよ‥‥」
「分かったなら行くぞ、シンジ」
「へ、どこへ？」
「もちろん、こうなったら直接乗り込むしかあるまい」
「へ？」
「わしも行こうか」
「いや、３人ともいなくなると目立つ。ここは一番派手なトウジには教室に
  残ってもらおう」
「そうなんか？」
「お前の黒いジャージは目立つんだよ」
「ふーむ」
「じゃあシンジ‥」

納得してないようなトウジを置いて、ケンスケはシンジに説明を始める。
もちろん有無を言わせる間を与えない。

「まず、侵入経路だが‥‥」

手早くノートに見取り図を書く。

「正面から乗り込むには、この渡り廊下を通らなければならず、他生徒に目撃
  される危険がある」

渡り廊下の両脇には下駄箱があるため、腰をかがめていれば隠れることが
出来たが、ところどころ切れてる場所は周囲の校舎から丸見えになっていた。
別棟の体育館と更衣室に行くにはここを通るか、あるいは‥。

「従って、正面から入らず、校舎の後ろを回って後ろから侵入する」
「‥‥‥」
「途中、こことここの下駄箱の後ろを通れば見つかる確率は少ないはずだ」
「‥‥‥」
「あとは、この校舎の窓から入って、あとはこの廊下をほふく前進すれば
  いいだろう」
「‥‥別にほふくする必要は無いんじゃ‥」
「ま、まあ、そうかな」

ケンスケはこの敵地に侵入するスパイのような行動に酔っていた。

「それに窓から入るってカギがかかっていたらどうするの？」
「よくぞ聞いてくれた」

ケンスケは中指でメガネを押し上げる。メガネが白く光る。

「さっき、間を見て俺は窓のカギを開けておいたのだ‥‥くくく‥」

自分の思慮深さに酔うケンスケ。

こうして、このオペレーションは始まったのだった。

                               §

「『お前の双肩にかかってるんだ』ってこういうことだったんだね」

シンジは肩の上にケンスケを乗せて、耐えながらつぶやく。

二人は校舎の裏側の、常緑樹に囲まれたうす暗い場所へ来ていた。
ケンスケが窓の鍵を開けた部屋は２階だった。この部屋からなら、階段を降りて
男子更衣室へ回るまで、まず人目につくことは無いだろう。

しかし、シンジの肩にケンスケが立ってもまだ窓には手が届かなかった。

「こ、こんなところに落し穴があったとは‥」
「これだけ差があると、僕の代わりにトウジがやっても無理だよね」

シンジはすでに諦めている。
しかしケンスケはそうではなかった。

「‥‥うーむ、１階のどっかの窓が開いてないかな」

偶然はあるもので、近くの無人の教室の窓が開いていた。
成行き上、ケンスケとともにシンジもここから入り込み、さきほどまで
使っていた、そして今は女子が使っている男子更衣室の前とやってきた。

途中ケンスケが
「シンジ、腰が高い！ いいか、頭を低くして素早く移動するんだ。見てろ」
と指導するのに従ううちに、シンジもなんだか楽しくなってきたためだ。

ケンスケは、男子更衣室の合鍵を持っていたが、鍵はかかってなかった。
辺りを見渡しつつ素早く戸を開け、入り込む。シンジも後を追うように入り
戸を閉めた。

「‥‥さて、これからどうするか」
「え、ちょ、ちょっと。何も考えてなかったの？」
「ま、まーな」

シンジの頭に大きな冷汗が浮かんだ。

しばらく考えていたあとケンスケはたんたんと喋りだした。

「あいつらはすでに体育館へ行っただろうから、あと 30分は
  時間があるはずだ。その間に作戦を練ろう。
  まず、どこにビデオを仕掛けるかだが、見ての通り仕掛けるのに適した場所は
  無いし、ロッカーの上に置いたらまた見つかるのがオチだ。」

殺風景なこの部屋では、他の物品に紛らすことは難しい。

「そこでこのロッカーの中から撮影する」
「え、ケンスケが入るの？」
「それもいいが、見つかるとそれこそ停学になりかねんからな。
  それにこのロッカーは下の方にスリットがあるだけだから、中に入っても
  直接見ることは出来ない。」

ケンスケが目でさす先に三本の細長いスリットがあった。

「この隙間越しにカメラを設置する」
「でもロッカーを開けたらバレちゃうんじゃないの？」
「人数分以上にあるから、あいつらが使ってないロッカーがあるはずだ。まさか
  使ってもいないロッカーを開けることもないだろう」
「そうかも‥しれないけど‥」
「広角レンズじゃないからいいポジションで空いてるロッカーを探してくれよ」
「そんな都合よくはいかないんじゃ‥」
「言っとくが、使用中か確認する時に制服とか触るんじゃないぞ」
「そんなことしないよ」
「一応念押したまでだ。些細なことにしろ疑われるのはまずいからな」

なんとなくケンスケの喋り口調もコマンダー風になっていた。

その時、廊下の方から聞き覚えのある喋り声が聞こえてきた。
 
                               §

「遅れちゃったわね」
「まったく、レイは相変わらずよね。体育の授業が無いからって体操服
  忘れるなんて」
「いーじゃない。ちゃんと予備があったんだから」
「わざわざ女子更衣室まで取りに行くのに付き合わされた身にもなってよ」
「へーんだ。私は委員長に頼んだんだよ。アスカは勝手に来たんじゃない」
「なによそんなこと言うの」
「あいたっ」

ガララララララ‥‥‥‥

（綾波とアスカと洞木さんだ‥‥）

とっさにロッカーの中に隠れたシンジは思った。
ちなみにケンスケも同様にどこか開いてるロッカーに隠れている。

レイたちは途中寄り道をしたため、３人だけクラスの他の女生徒よりも遅れた
らしい。

「綾波さん、いくら予備でもたまには洗濯した方がいいわよ」
「あはは。分かってるわよ。たまには持って返ってるよ‥‥」
「たまにってどれくらいなのかな？ レイ」
「‥‥半年」
「よくカビ生えないわね」

（ドキドキ‥‥）

シンジは極度に緊張していた。

（ここにいることがアスカにばれたら、間違いなく殺される‥‥）

「ねえアスカ。どこにカメラあったの？」
「ん〜その辺よ。あきらかに不自然なものがあったから一目で分かったわ」
「まったく相田君にも困ったものね」
「困るのはジャージへの影響じゃないの、ヒカリ」
「ち、違うわよ」

（ドキドキ‥‥）

ガチャッ

（ドキドキ‥‥）

「ねえ委員長、どこ使えばいいの？」
「空いてるとこなら、どこでもいいわよ」

ガチャッ

（ドキドキ‥‥）

ガチャッ

「！！！」

そのとき
シンジのいるロッカーが開き、シンジは正面からレイと向き合った。
シンジは心臓が止まるかと思った。

「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」

目を丸くするレイと、おびえた表情で半笑いのような複雑な表情のシンジ。
レイは目を見開いたまましばらく止まっていたが、再び扉を閉めると

「‥‥アスカ、ちょっと待って」
「なに？」

アスカは、けげんな表情でサスペンダーにやった手を放した。
レイは静かに歩きながら、周りのロッカーの扉を次々と開け回る。

ガチャ ガチャ ガチャ ガチャ .............

レイが止まる。
アスカとヒカリが覗き込むと、狭いところに身体を無理矢理押し込んでいる
ケンスケがやっぱり半笑いを浮かべていた。但し、冷汗かきまくりだ。

「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
「きゃあああああああああああああああああああ」

ヒカリが叫び声を上げた。
ケンスケはそれを契機にロッカーから飛び出すと、あっという間に
戸を開け、逃げていった。

アスカは携帯を取り出すと、どこかへ電話した。

『もしもし、ミサト？ 今そっちに相田が行ったわ』
『アスカね。ちゃーんと捕まえたわよ。あ、加持君逃がさないでよ』

「すまないな。これも職務なんでね」
「‥‥‥‥」
加持に手首を掴まれたケンスケは、観念したのかうなだれていた。

一方、レイたちは。

「大丈夫、ヒカリ」
「ありがとうアスカ。大丈夫よ」

放心状態のヒカリにアスカが声をかける。

「あとはミサトに任せましょ」
「そうね。それに急がないとみんなに迷惑がかかるわ」

この辺は委員長らしい。

「大丈夫。他のロッカーは問題ないわ」

一通りチェックし終わったレイがアスカに告げる。

「そう？」

アスカはレイを疑わしげに見やると、レイが最初に開けたロッカーに
つかつかと近付く。

「ま、待って。そこはあたしのロッカーなんだから！」
「‥‥ふーん。でも、あんたここを見て何か見つけたんでしょ？」
「ぎくっ」

アスカは、ガチャリとロッカーの扉を開ける。

「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥シンジ‥‥‥」
「はい‥」

シンジは縮み上がった。

「出なさい‥‥‥」
「う、うん‥‥」
「え、碇君いたの？」

ヒカリも二度目なのであまり驚かない。

「ここで何してるの？」
「何ってその‥‥‥」

アスカの鬼のような形相と冷たい青い目に射貫かれて、シンジは言葉を
失った。

「アスカ‥‥あたしの碇君に勝手なことしないで」

レイはシンジに抱きつく。

「碇君はあたしが拾ったんだから、あたしのものよ」
「なんでよ」
「だって拾ったんだもん」

そういう問題ではない。

「綾波さん、拾得物横領罪になるんじゃ‥‥」

そういう問題でもない。

「それに、１割から２割というのが常識でしょ」

そういう問題でも勿論ない。

呆然とするシンジを置いて話はどんどんそれていく。

「じゃあ、２割を要求するわ」
「あの、綾波？」
「どこを貰おうかしら‥‥」

シンジの全身を値踏みするように眺める。

「や、やめてよ」
「ふふふふふふ‥‥」
「待ちなさいレイ！所有者のアタシに相談も無しに勝手に決めるんじゃないわよ！」
「今日から‥‥‥あたしのもの‥‥‥じゅるる‥」
「綾波ぃ‥‥」
「‥‥碇君‥‥たくましい‥‥（ぽ）」
「こら！シンジはアタシの管理下だって言ってるでしょ！」
「ふ、二人とも不潔よっ」

妄想に浸り真っ赤になるレイと怒りのため赤くなるアスカ。
何を想像したのかヒカリも真っ赤になって二人の仲間に入ってしまい、
この混乱は結局、あまりに遅いためミサトが探しに来るまで続いた。

                               §

ちなみに、シンジはレイの協力なプッシュもありお咎め無しとなったが、
ケンスケは自宅謹慎となった。（まあ、そんなもんだろう）