ジ‥‥ジジジ‥‥ジジ‥‥‥。

その部屋は暗闇に閉ざされていた。

静寂に満ちたその部屋に、わずかな機械音が響き渡っている。

暗闇の中、片隅に置かれたディスプレイのみが光を放ち、部屋にいる二人の男の顔を あかあかと照らし出している。

二人は身じろぎすらせず、真剣な表情で画面を見つめ続けていた‥‥‥。

‥‥‥。

おもむろに男の一人がつぶやいた。

「15年ぶりだな‥」
「‥‥あぁ」

「‥‥‥」
「‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あぁん！‥‥」

「さよならの季節」

シャーーーーッ!

突然カーテンが開かれ、部屋の中は一転してまぶしい光で満たされる。

「む‥」

突然の変化にゲンドウは腕で目を覆った。

「あなた‥‥。何をしてるんですか‥」
「ユ、ユイ！！」

「ユイ、いつの間に‥‥」

「久しぶりに来日された冬月先生に何を見せてるんですか‥‥」
「い、いや、これはだな‥」

ゲンドウ、ユイ、冬月は碇家の居間へ移動した。

「まったく、ちょっと目を離すとこうなんだから‥」

「私はだな、わざわざアメリカから来られた冬月先生を歓迎しようと‥」
「こんな歓迎がありますか！」
「冬月先生も AV は『15年ぶり』だったらしいし、楽しんでいただけたと思うが‥」
「そういう問題じゃありません！」
「まぁまぁ、ユイくんも落ち着いて‥」
「冬月先生も冬月先生ですわ。この人と一緒になってこんなものを見てるなんて‥」
「私は構わないが‥」
「構って下さい！」

ユイは声を張り上げたところへ

「ただいまぁ」

シンジが学校から帰ってきた。

「‥あら、おかえりシンジ、今日は遅かったのね」
「うん、トウジたちとちょっとゲーセンに寄ってきたんだ。‥‥あ、お客さん？」
「シンジ、こちらは冬月先生よ。大学時代の私の恩師なのよ」

「どうも、こんにちは」
「シンジ君かね」
「はい」
「むかし、一度会ったことがあるんだが、覚えているかね？」
「えー‥‥その‥‥ごめんなさい、思い出せないんですけど‥‥‥」
「ははは、シンジ君が小学校へ上がる前だからな。覚えてないのも無理はない‥‥な」

冬月はシンジをじっと見つめる。

「な、なんですか？」
「ふむ、‥‥‥シンジ君はユイ君に似たようだな。良かったな、お父さんじゃなくて。」
「はい。‥‥‥よく言われます」
「はははははは、やっぱりな」
「シンジ！」

ゲンドウが声を上げた。怒られたと思ったシンジが首をすくめる。

「な、なに？」
「お前に頼みたいことがある。ちょっと来い」

「‥‥シンジ‥」
「なに？」
「‥‥これだ」
「‥‥‥‥これって、レンタルビデオの袋じゃない」
「そうだ。今日までだ。返してきてくれ」
「え？」
「時間がない。急げ」
「今日までって、い、今から？ 僕が？」
「‥‥そうだ」
「‥‥‥‥い、いやだと言ったら‥」
「‥‥‥」
「‥‥あの、僕、場所知らないし‥」
「ここだ‥」

「‥‥いつもこうなんですよ。あの人」
「碇、相変わらずだな‥」

シンジが自転車でレンタルビデオ店へやって来たときには、すでに時刻は 夕方を過ぎており、あたりは暗くなっていた。
その店はいかにも個人経営らしい小さな店舗で、客足の少ない時間帯ではない だろうに誰も客は入ってなかった。

さすが、父さん‥。こういう怪しい店をよく知ってるな‥

意を決すると、シンジは中に入っていった。
ぐるりと辺りを見渡し、返却カウンターを探す。
と、そこに。

「い、碇君？」

突然すぐ横からシンジの名を呼ばれ、慌てて振り向く。
見ると店のエプロンを制服の上につけたレイが、カウンターの中に 立っていた。

「ええ？ 綾波なの？」
「‥う、うん」
「どうしてこんなところに‥‥って、もしかしてバイト？」
「あ、えーと‥‥」

「だって校則じゃあ‥‥‥‥」
「わ、分かってるわよ。バイトは禁止、でしょ？」
「うん。だったら‥‥」
「学校には内緒でやってるの。お願い、碇君。黙っててくれない？」

「ははは。ぼ、僕はいいけど‥」
「ありがとう！ やっぱり碇君、話せるわ〜」

「ところで、碇君はどうしてここに‥」

しばらくして、レイがシンジに訊ねた。

「えーと、これだけど」
「あ、返却ね」

レイは返却ビデオの確認を行なおうと、シンジの持ってきた袋から
DVDを取り出す。

出てきたのは、もちろん、さきほどゲンドウが見てた 18禁のアダルトビデオ。

二人の間の時間が止まる。

「碇君、これ‥‥」
「な、な、な、いや、これは、ぼくじゃなくて、父さんが、‥」

シンジはパニックになりながら、必死で言い訳をする。
「じぃ〜ーーーーーー」
「だから、その‥」
「じぃ〜ーーーーーー」
「し、信じてよぉ」
「じぃ〜ーーーーーー」
「綾波ぃ〜」

シンジの顔は真剣、というより泣きそうだ。

レイはじっとシンジを睨んでいたが、‥‥しばらくして、吹き出した。
「あははははは、ごめん、ごめん、判ってるわよ、シンジ君にそんな度胸ないもんね」
「え‥‥‥」
「あんまり真剣だから、つい、からかってみたくなっちゃうのよ〜」
「‥‥‥‥」

ぽかんと口を開けるシンジ。
「ふふふふふ‥‥‥‥。さっきの碇君の顔ったら、ふふ‥」
「‥もう！綾波ったら！」

さすがにシンジも機嫌を損ねる。

「ねえ碇君、ごめんってば！」
「綾波はそうやって、いつもからかうんだから」
「ふーん、そういう態度を取るの？ 明日、学校でこのこと言っちゃおうかなー」
「え？」
「碇君がアダルトビデオ借りてました〜」
「ちょちょっと‥」


シンジは焦りの声を上げる。

「‥‥‥‥ぷ」
「え？」
「うそうそ。だってあたしがバイトしてたこともばれちゃうしね」
「‥そ、そうだよ、まったく」
「私も黙っててあげるから、碇君も私がバイトしてたこと黙っててよね」
「‥も、もちろん」


レイは小指をシンジの指に絡める。

「ね、約束よ」
「う、うん」
「碇君、怒ってない？」
「‥別に」
「えへへー」
「な、なに？」
「よかった。それとさ、帰り送ってくれない？ もうすぐ終わるから」
「わかった」



◆


「ところで、冬月先生。これからはこの街にお住みになるんですか？」



ユイがお茶を入れながら冬月に訊ねる。ちなみにゲンドウは一人離れて
座っている。

「そうしたいと常々言っているんだが‥‥」

冬月はずずっとお茶を飲む。
「なかなか実現しなくてね。まだ当分の間は向こうで暮らすことになったよ」
「冬月先生は、外国でも有名ですからね」
「そんなことはないが、‥‥今はどこも人が足らないんだ」



小さくため息をつく冬月。


「今日は、何か用事で来られたのですか？」
「まあ。たまにはユイ君たちに挨拶をしておこうと思ってな」
「あら、わたしも久しぶりに冬月先生に会えて嬉しいですわ」
「それはよかった」
「冬月先生もお変わりなく‥‥」
「いや、ユイ君はいつまでも若々しくて羨ましい限りだな‥‥」
「冬月先生はいつもそう言うんですから‥」
「ハハハ、いやいや、本当だとも‥」


冬月は一旦言葉を切ると、語調を変えて切り出した。

「実は、もうひとつ理由があってね‥」
「あら、なんですか」
「私の娘に会うためでもあるんだ‥」
「冬月先生に、娘さんっていらっしゃったんですか」


ユイが首をかしげる。

「ああ、遠い親戚の子なんだが事情があって私が引きとっているんだ」
「そうですか。今、おいくつなんですか」
「‥確かシンジ君と同い年だったかな、女の子だがね」
「14 歳ですか‥‥‥。大変でしょう？」


冬月は遠くを見つめる。

「すぐ日本に戻るつもりだったから、これまで一人暮らしをさせていたんだが‥」
「まあ」
「いつまでも一人暮らしさせるわけにもいかないから、アメリカへ呼ぼうとかと考えているんだ‥」
「そうですか‥」
「そのことを彼女に話そうと思っているんだが‥‥」
「娘さんは転校はいやがってるんじゃないですか‥」
「ああ、何度か聞いてはいるが、やっぱり友達と別れたくないみたいだな」
「そうでしょうねえ‥‥」
「うむ‥」


そこへ、ゲンドウが例のメガネに中指をあてたポーズで話しかける。

「フ‥、冬月先生‥‥」
「なにかね」
「彼女なら、しっかりしてるから大丈夫でしょう‥‥」
「ん？ 何を言っておるのかね」
「偶然、私が先ほどのビデオを借りる時にバイトしていたんですが‥」
「なに？」
「なかなかいい子じゃありませんか」

ゲンドウはニヤリと会心の笑みを浮かべた。




◆

ガチャリ

「碇君、待たせてごめん」
「ううん、いいよ」



あたしが店の裏の通用口から出たとき、碇君が空を眺めながら待っていた。


「空、見てたの？」
「うん、月が奇麗だったから」


ほんとだ。今日は満月なんだ。

あたしも碇君と同じように頭上の月を見上げる。

「綾波。学校の先生も来るかもしれないし、やめた方がいいと思うよ」
「うん。でも実は今日までなんだ」
「え？そうなの？」
「都合で３日間だけだったの。でもまさか、碇君に合うとは思わなかった」
「偶然ってすごいね」

ほんと、びっくりよね〜。

こんな誰も来ないような店なのに‥。とはいってもゼロじゃないけどね。
昨日だって、変なヒゲのおじさんが来たし。


「僕もびっくりしたよ」
「ふーん、私に碇君の『秘密』がばれちゃったから？」
「あれは誤解だって何度も言ってるじゃないか〜〜〜」
「へへへ、わかってるわよ〜〜」


でも、こんな偶然って普通ないわよね。

考えてみると、あたしと碇君って衝撃的な出会いからして運命的なもの感じるし、
もしかして赤い糸で結ばれてるってやつぅ？

‥‥って、そんなこと無いわよねぇ‥‥



あ、そうそう、今日は早く帰らなくちゃ。

‥‥。

まだ、少しぐらい時間はあるかな‥。

「ね、碇君。あたしのど渇いちゃったなー」

「‥‥はいはい」

てへへ。


◆


「ほら、バカシンジ！ しっかり走りなさい！」
「これが、限界、だってば！」
「いいから走る！ あんたのせいで、遅刻するかもしんないじゃない！」


その朝もシンジはアスカにどやされながら学校へと走っていた。そこへ、


「いっかりくーん」

どこから現れたのか、レイがシンジに抱きついてきた。

「うわぁっっと」
「おっはよー、碇君！」

転ばないよう慌てて体を支えるシンジに、
レイはくったくの無い笑顔で笑いかける。


シンジはレイを置くと、
「やめてよ、綾波」
「へへへー、びっくりした？」
「そうじゃなくって危ないよ！ ケガでもしたらどうするのさ」
「碇君を信用してるから平気よ」
「そんなこと言っても‥‥‥」
「碇君‥‥わたしを心配してくれるの？」
「そりゃあ、もちろん‥」
「うれしい！！」



レイは再びシンジに抱きついた。

アスカがすぐにシンジとレイの間に割って入り、離れさせる。

「あんたら、いー加減しなさいよ！」


レイはアスカをじと目で見ながら、

「いいじゃない。アスカには関係ないわ」
「関係あるとかないとかじゃないわよ！」


アスカはシンジをビシっと指さし、
「シンジもそうやって鼻の下伸ばしてると、いつか痛い目に会うわよ！」

シンジが真顔で訊ねる。
「痛い目って？」
「例えば、レイが突然ヒジ打ちをシンジにくらわすとか」
「そんなことしないもん」


即座にレイが否定する。
「そうだよ、アスカじゃあるまいし‥」


ゲシャ!!!!


アスカのカバンを大きく弧を描き、シンジは地面へと叩きつけられた。

「てててて、アスカ、痛いじゃないか！」
「あんたがしょーもないこと言うからでしょ。それにピンピンしてるじゃない」
「そういう問題じゃないよ！」



レイは口論の始まった二人を、じぃーと見ていた。

あーあ！ また、始まったわ。
この二人って、いつもこうなのよね。
まあ、裏を返せば仲がいいってことよね。ちょっと、うらやましいかな。


レイは苦笑を浮かべる。

でもこれも見納めなのよね‥。
昨日冬月さんから近いうちにアメリカへ引っ越すことになると告げられたから。


レイは昨夜の出来事を思い出す。


冬月はレイの遠い親戚で、身寄りの無かったレイを今まで引きとっていた。

もともと、ここ第三新東京市の大学に赴任するはずだったのが、
急にカリフォルニアの会社で研究をすることになり、しばらくは単身で
アメリカに住んでいた。冬月もレイ以外家族がなく、お互い一人暮らし
だったのだが、しばらく日本に戻れないことから、レイもアメリカへと
呼ばれることになった。

覚悟はしていたけど‥。
身寄りのない私をこれまで面倒を見てくれた冬月先生に、わがままは言えないし。
でも‥‥‥


レイは顔を伏せた‥。


「碇君‥‥」


!!

つぶやいた自分の声に我に返る。

見るとシンジとアスカはまだ何やら言い合いをしていた。


レイは大きく深呼吸をした。

「はいはいはい、二人ともそこまで！」


アスカが食ってかかる。

「張本人が白々しく何言ってんのよ」
「それどころじゃないのよ、時間を見てよ」
「げっ？！」


もう間に合わないと思いつつ、3人は学校へ走りだした。

「なんで、こーなるのよ、はぁ、はぁ」
「はぁ、わたしの、せいじゃ、ないでしょ」
「はぁはぁ、二人とも、待ってよー」


レイは、走りながらも悩んでいた。

みんなに、なんて切りだそう‥‥。
いつまでも隠しておくなんてよくないよね。
でも、‥‥言いたくない。

引っ越してしかも外国へ行くとなると、みんなの私を見る目がきっと変わってしまうもの。


レイは目を閉じる。

いつか夢は覚めるものだとしても、‥‥‥もう少しぐらいいよね



◆


結局、わたしたち３人は遅刻してしまった。

担任の葛城先生はこういったことにはおおらかなので、特に咎められる
こともなかったけど、３バカの二人は私たちをからかいにやってきた。


「相変わらず、仲がよろしおまんなー」
「なんだよ、トウジ」
「今日もどうせシンジを二人が取り合って遅れたんだろ。うらやましいよなー」
「違うよ。今日遅刻したのは僕とアスカが‥」
「ちょっとバカシンジ！あたしが悪いって言うの！」
「だって、そうだろ？」
「あの場にいながら、遅刻になるまで止めようとしなかったこの女がいけないのよ」
「そう？ 二人の語らいを邪魔したくなかったもんで」

あたしは、うそぶいた。
「どこが語らいよ！ それに、いつもは邪魔ばかりしてるじゃない、あんた」
「ほぉー。てことは、やっぱり碇君のこと好きなんじゃないの？」
「あ、あたしはただ邪魔するなって言ってるだけでしょ！」


アスカはちらりと碇君を見て、

「だーれがこんなやつを‥」
「またまたぁ」
「なんなら、あんたにノシつけてあげるわよ！」
「ふーん、アスカが碇君が好きだって言うなら、わたしはかなわないし、身を引こうかなって思うんだけどなー」
「え？」
「アスカと碇君に、わたしの入る隙間なんてないみたいだしねー」

ざわざわ

さぁどうする？ とアスカを反応を見ようとしたしたんだけど、
教室の中がざわざわと騒がしくなった。

も、もしかしてみんな聞いてたの？

しばらくして、相田君が訊ねた。


「綾波。てことは、これからはフリーってことか？」
「‥‥‥フリーもなにもあたしは最初からそうなんだけど‥‥今のところ‥‥」
「そう言ってもなあ、これまではシンジべったりだったじゃないか」
「でも‥‥別に‥‥ねえ‥‥」



小声になるあたし。碇君はというと。

「‥‥‥‥」
「せんせもだいぶショックを受けとるみたいやな」


呆然としていた。

そ、そんな顔しないでよ、


◆


「え？映画？」
「はい、綾波さん時間があいてれば、僕と一緒に行きませんか？」
「あはは、その用事があるというか、都合が悪いというか〜。ごめんね」



はあ〜あ


あたしは自席に戻ると、ため息をついた。

「どうしたのよ」


ためいきをつくあたしに、アスカが楽しそうに声をかけてきた。

「アスカ？ また来たのよ、つきあってくれだってさ」
「ほーお。さすが綾波レイさん。フリー宣言をした途端もってもてじゃないの」
「何いってるのよ、うっとおしいったらないわよ」


あれから３日。交際希望とかいう人が休み時間のたびに来ていた。

「あんたがアタシをからかおうとしたからよ、自業自得ね」
「へいへい」
「ま、そのうち収まるでしょ。人の噂も75日っていうしね」
「‥‥気が遠くなること言わないで」
「そういう時は、思いっきり歌うに限るわ」
「はあ」
「ってわけで、カラオケに行くわよ！」
「はあ」


あたしはふと訊ねた。

「誰がいくの？」
「まあ、いつもの面子でしょ。シンジとヒカリとおまけで３バカね」
「ふーん」
「じゃあたしヒカリに聞いてくるわ」


あたしは軽く了承した。

アスカは、相田君と鈴原君のところへ行くと、早速このことを話している。

まああの２人は暇そうだから、来るでしょうね。

アスカの話を聞いて、相田君がやってきた。
「綾波、いいのか？」
「へ、なにが？」
「俺達と行くってことさ。
  俺かトウジとつき合ってるんじゃないかっていう噂が立つかもしれないぜ」
「大丈夫よ。そんな可能性は１オングストロームもないから」
「‥‥」


あ、もしかして泣いてる？

「馬鹿ねえ。自分の立場をわきまえなさいよね〜」
「アスカ、それより碇君は？」
「シンジは聞くまでもないわ。選択の余地ないでしょ」
「あははは‥‥」

かわいそうに。


◆


授業後、駅前のカラオケボックスへやってきた。

まだ昼時間なので料金はぐっと安い。

なので、最近あたしたちはよくここに遊びに来ていた。

まあ、積極的なのはアスカと鈴原君で、碇君と委員長の二人はむしろアスカに
引きずられて仕方なく来てるって感じね。


「♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜」

アスカがヒットチャート第１位の曲を熱唱している。

自分の歌に浸り込むアスカを碇君がぼーと眺め、相田君はカメラ小僧よろしく
パシャパシャと撮りまくっている。

そこへ委員長が声をかけてきた。

「次、綾波さん、歌わない？」
「ありがとう、でもまだ委員長歌ってないでしょ」
「あたしは別に‥」
「ほらほら、このあたりの曲なんて、どう？」
「あ、綾波さん、デュエットじゃない‥‥」
「そうだよ、いいじゃない！」
「でも‥」
「なに？」
「じゃ、じゃあ綾波さん、一緒に‥」
「‥‥それってあたしが男役やるの？」
「い、いやかしら？」
「折角男の子がいるんだからさあ、誰か御指名しちゃえばぁ？ といっても一人しか‥」
「あ、綾波さん！！」


あたしが意地悪く笑うと、委員長は赤くなった。


「ねえ、鈴原君！」
「なんやぁ？ 綾波」
「このなかで知ってる曲ある？」
「んん？ これなら知ってるけど、それがどないしたん？」
「そう、ヒカリも大丈夫よね」
「え、ええ」
「なにーー、委員長とデュエットするんかい？！」


鈴原君の声に誰も自分の歌を聞いてないことに気付いた
アスカが叫んだ。


ふとみると、碇君が所在なげにしていた。

あたしは鈴原君と席を入れ替わって、碇君の横に座った。

「ねえ、碇君‥」
「‥‥なに？」
「こういうの、苦手？」
「あんまし得意じゃあないかな‥」
「楽しくない？」
「そんなことないよ。みんなと居た方が楽しいし、歌を聞くのも悪くないしね」
「アスカ、歌うまいもんね」
「綾波もうまいよ。それに綾波の声って澄んでて僕は好きだよ」
「ありがと。碇君もきれいな声なんだから自信を持てばいいのに‥」
「そんなことないって‥‥」


本当だって。

「そうだ！ ね、碇君。それじゃ、気分転換にちょっと散歩しない？」
「え？」
「すぐ戻ってくるからさ」


あたしは強引に碇君を腕を取った。

「綾波さん、どこ行くの？」
「あはは、ちょっと気分転換に外の空気でも吸ってくるわ」
「え？大丈夫？」
「気にしないで。それじゃ、すぐに戻ってくるから」


といいつつ、碇君を押し出すとわたしも外へ出た。

アスカが何か言いたげだったが、歌の途中だったためか睨んだだけ
だったので、これ幸いとあたしたちは扉を閉めた。


◆


外へ出ると辺りは暗くなりはじめていた。

あたしは星の見えはじめた空を眺めた。

「ふぅ。やっぱ外の空気は気持ちいいわね」
「そうだね」
「この街って、風が冷たくて気持ちいいのよねー」
「そうかな」
「そうよ」
「そうか。綾波ってあちこち引越ししてたんだっけ‥」
「‥あちこちってほどじゃないわ」


風が髪をかきあげる。

「両親が早くに死んじゃったから、親戚を転々としてただけだから‥」
「‥‥そうなんだ。ごめん」
「謝ることはないわ」


遠くをリニア鉄道が走っていく。

「綾波はこの街にはずっと居られるの？」


碇君が心配げに訊ねる。

「‥‥じゃあさ、碇君。もし、あたしが引っ越しちゃうとしたら、どうする？」
「え？そんなこと突然言われてもわかんないよ」
「じゃ、考えてみて」
「うーん、そう言われても、やっぱりわかんないよ」
「そっか」


あたしは少し安堵して、また空を眺めた。

「ね、碇君。初めて会った時のことを覚えてる？」
「え？ もちろん」
「まさに衝撃的だったよねぇ」
「ははは」


あたしは交差点で碇君とぶつかった時のことを思い出していた。

あたしは振り返ると、碇君の目を見つめた。

「あたしのこと、どう思う？」
「え、え、そのかわいいと思うよ」
「気持ち悪くなかった？」
「どうして？」
「あたしの目、赤いでしょ？ 髪の色も違うし‥」
「そんなの気にならないよ」
「でも、‥‥血の色だよ‥」


あたしは碇君の足元に視線を移した。

「綾波、‥‥僕は綾波の瞳、きれいだと思う」
「‥‥‥碇君」
「それにさ、血の色が赤いのは当たり前だろ。アスカの方が恐いよ」
「どうして？」
「目の色が青いんだよ。もしかしてアスカの血って青いんじゃ‥‥」


ドゲシャッ




アスカが突然現れ、碇君を張り倒した。

「まったく影で何言われてるかわかったもんじゃないわねーっ」
「あれアスカ？ それに委員長も‥」

見ると、アスカと委員長が後ろに立っており、その前には
頭を抱えた碇君がうずくまっていた。

「‥アスカ、今のはひどいんじゃない？」
「だってヒカリ、この美人に向かってあんまりでしょ！」
「そうかもしれないけど‥」


委員長の頭には大きな汗が浮かんでいた。

‥‥よほどの大技が飛び出したに違いない。


「それはともかく、シンジを連れ出して何やってるのよ！」
「‥‥‥‥」

あたしは邪魔をされて、ぶ然としていた。
「アスカ、そんなに碇君が心配なの？」
「あんたねぇ！」
「大丈夫よ、もうじき心配しなくてよくなるわ」
「な、なによ、それ」
「あたしが引越していくから‥‥」


アスカと委員長が目を見開く。

「綾波さん、それ、ほんと？」
「まだ確定じゃないけど、多分今月中には‥‥」
「うそ‥‥‥‥‥」
「ほんとよ」


アスカのつぶやきに、あたしはきっぱり答えた。

「綾波‥‥どこへ行くの？」
「よく知らないけど、アメリカのどこかみたい‥‥‥」
「そんな‥‥」
「だからさ、碇君、アスカと仲良くしなよ」


でも碇君はかぶりを振ると、

「綾波、やめるわけには行かないの？！」
「うん。ごめんね、家の都合なんだ」
「綾波‥‥」


私、少し涙が出ているかもしれない。

「今までありがとう。碇君に会えてよかったわ」
「そんな、お別れみたいなこと、言わないでよ！」
「碇君‥」
「電話だって手紙だってあるよ。それに、絶対‥また会えるよ」
「‥そうだね」


あたしは碇君の言葉に胸がいっぱいになった。


アスカが当惑した表情で

「レイ、なんで今日まで隠してたのよ」
「‥‥あんまし言いたくなかったんだ」
「どうして？」
「みんなの態度が変わっちゃうからかな」
「だからといって‥‥」
「うん、分かってるわ。でもそのうち担任の先生が知らせてくれるはずだから、
  それまで、何も聞かなかったことにしてくれない？」
「いいけど‥」


あたしたちは、鈴原君と相田君を残してきたボックスへ戻ってきた。

扉を開けたとき、ちょうど曲の終わりだった。

「おー、遅かったやないか！」
「ああ、俺達歌い過ぎてもう声が出ないよ」
「そうやな、聞かせてやりたかったな。わしらのハモりを！」
「は？ あんたら、ハモッてたの？」
「そや」
「気持ちわるいわね‥‥ホモじゃないでしょうね？」
「あほかい！」
「あんましシンジに近寄らないでよね」
「違うとゆうとるだろが‥‥」




◆


「よおシンジ、元気ないな」
「綾波がいないからやろ？」
「‥‥‥‥」


僕が綾波の席を見ていると、ケンスケとトウジが声をかけてきた。

綾波はあの翌日から学校へ来なくなった。

先生の説明によると、家庭の事情で１、２日休むとのことだったが、
今日で３日目になる。

僕は一日中、空席となった綾波の席を見ていた。


「しっかし、家庭の事情って何なんやろな」
「さあね。でも、あまり詮索しない方がいいんじゃないのか」
「そうやな」
「でも、原因はシンジだったりしてな」
「ほぉ、先生かぁ？」
「ちょ、ちょっとケンスケ、なんだよ、それ」
「シンジ、あの日、綾波に何かしたんじゃないのか？」
「何かって？」
「つまり、シンジが綾波に手を出したってことさ」
「おおー！ 綾波が学校を休んでいる理由はそういうことかいな！」
「違うってば！」


また勝手なことを言って！

でも、僕も急に学校へ来なくなった理由はわからない。引越しは
月末だって言ってたのに‥。


「ふーん。じゃ、お前か何もしなかったからじゃないのか？」
ドキッ


するどいケンスケの指摘に言葉が詰まる。

そう、僕は後悔していた。あの時、僕が強引に引き留めていれば‥。

あるいは‥‥。


「‥‥ぼ、僕は知らないってば！」
「その「間」は何なんだ？」
「べつに」




◆


「シンジ、暗いわよ」


久しぶりにアスカと二人で帰る途中、アスカが声をかけてきた。

「そうかな？」
「ったく心配なら、レイの家に寄って様子見て来くればいいでしょ」
「でも、綾波は病気ってわけじゃないから‥」


アスカはため息をつくと、

「あいつ一人暮らしなんだから、病気になってるかもしれないわよ」
「そ、そうだね」
「あたしも行ってあげるから、ほら、レイの家はどっち？」


そして、僕たちは綾波のマンションへと向かった。


ピンポーーン

ピンポーーン

ピンポーーン

「あれ、いないのかな‥」
「干からびてたりして」
「アスカ、恐いこと言わないでよ」


そこへ、隣の部屋から女の人が出てきた。

僕たちをみると、

「あ、そこの人、今日、引越していっちゃったわよ」
「え？ 今日？」
「今朝挨拶に来たし、荷物も引越し業者の人が運んでたみたいよ」
「‥‥そうですか」


僕たちは、とぼとぼと家へ向かった。



◆


アスカは、薄情ねとかなんとか言ってたけど、僕にはあまり聞こえてなかった。
綾波が突然引っ越して行っちゃったなんて。

行き先は何も聞いてないし、それに一言ぐらい何かあったっていいじゃないか。


綾波‥‥。

もう会えないのかな‥‥。


気付いたら自分の家だった。

アスカとはいつの間にか別れたらしい。

いつもより重く感じる扉を開けた。

「おかえりなさい、碇君」
「ただいま、‥‥って綾波？！」


玄関で僕を向かえたのは、綾波だった。


「え!? なんで綾波が!?」
「えへへ‥‥」
「引越ししちゃったんじゃ‥‥」
「わたし、碇君ちにお世話になることになったの」
「え？」
「碇君、これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく‥って、あの、これは」
「それはあとで説明するわ。とにかく上がって上がって！」
「？」



◆


シンジが居間を覗くと、
ゲンドウとユイがテーブルについていた。

「シンジ、遅かったな」
「父さんに、母さん‥‥これは一体？」
「まあ座りなさい。レイ君も‥」
「はい」「はい」


ゲンドウとユイの向かいにシンジとレイが座る。

「シンジ、レイちゃんだけど、当分うちで預ることにしたの」
「え‥‥‥」
「レイちゃんの保護者の冬月さんって人が、わたしの大学時代の教授なんだけど、」
「‥‥」
「しばらくアメリカに住むというので、その間うちで引きとることにしたの？」
「‥‥」
「レイちゃんさえ良ければって訊ねたら、承諾してくれたから」
「‥‥この家に一緒に綾波も住むの？」
「まあ、下宿みたいなものだ。むろん金は取らんが‥」
「‥‥綾波の部屋は？」
「シンジの部屋の隣だ。あそこが開いてたからな」
「いつの間に‥‥」


それまで黙ってレイがシンジに訊ねる。

「碇君はどう思う？ 迷惑かな？」
「そんなことないよ！ 僕は嬉しいよ」
「そう良かった‥」
「もう綾波に会えないんじゃないかって思ってたんだ。それに、一緒に暮らせるんでしょ」
「‥うん」
「僕はいいけど、綾波はいやじゃないの？」
「そんなことないわ」
「シンジ、レイちゃんに変なことしないようにね」
「わかってるよ」
「レイちゃんもこの家が気に入らなかったら、いつでも言ってね」
「そんなこと絶対ないです。おじさま、おばさまには、本当に感謝しています」
「あら、レイちゃんが来てくれて、うちもみんな喜んでるのよ」


楽しそうにユイが話を続ける。

「この人なんか、かわいい娘が出来るってこの間からずっとはしゃいんでるだから‥」
「ユイ‥‥」
「いいじゃない、本当なんだから‥」
「‥‥‥‥」
「もちろん私もよ。シンジは、‥‥聞くまでもないわね」
「か、母さん‥」



◆


チチチ‥‥


「碇君、起きて‥」
「うーん」
「碇君ってば‥」


ドドドドドドドド‥‥


「バカシンジ〜、起きなさ‥ってレイ？」
「ふぁわ、綾波、アスカ、おはよう‥‥」
「なんで、あんたがここに‥‥」
「へへ、知りたい？」
「な、なによ。言いなさいよ」
「‥‥‥」


こうして、シンジの朝は、以前に増して平穏とは言い難いものになっていくのだった。